私たちの住む街を、より良くしていくには、そこに住む人達の力に加えて、政治の力が欠かせません。国政に関しては新聞やテレビで目にします。区政は私たちの最も身近にある政治です。ところが、都政の重要性は余り理解されていないように思います。しかし、都政の役割は極めて重要です。
例えば、街づくりに重要な道を考えて下さい。杉並には、ほとんど国道はありません。環七も環八も中杉通りも井の頭通りも主要な道路はみな都道です。国の力で駅前を整備する。区の力で公園を整備する。それらを都が中心となって整備した道がつないでいけば、素晴らしい街づくりができます。
具体的には、都道における電線の地中化を推進します。杉並でも、永福町の北口商店街では電線を地中化し、歩行者と車とのレーンをはっきりと分け、人にも車にもやさしい町づくりが2年後の完成をめざして進んでいます。そんな動きを、杉並中に、東京中に広げていきたいと思います。
私はこれまで両親と祖母と暮らしてきました。両親はもちろんですが、祖母が教えてくれた人生の知恵は、私の大事な宝物です。少子化、核家族化が進んでいますが、私は東京を、お年寄りが安心して住める街、多世代が交流できる街、共に助けあって暮らせる街にしていくために働きたいと思います。お年寄りが安心して暮らすために都営住宅や、賃貸住宅を、もっと活用できると思います。いまでも素晴らしい伝統と、コミュニティーが残る杉並は、そのモデルケースになる可能性を持った街です。
杉並には、沢山の元気な商店街があります。気軽に歩いていける所に、お店の人との会話を楽しみながら買い物ができる場所がある。少子高齢化が進む日本で、大切に守るべき財産です。商店街をもっと元気にするために、東京の力を活用したいと思います。杉並のため、東京のため全力で頑張ります。

●趣味
歌を歌うこと(石原裕次郎さんの「北の旅人」もお任せください!)
猫とスズメの観察(しぐさが大好きです)
3月31日は、西川倖月先生が国立劇場にて花魁披露。

3月21日の環境委員会では、「創エネ」の取り組みについて伺いました。昨年3月の大震災は自由に電気を使える社会、大量の電力に依存する社会を当然と思ってきた私たちに、大きな変革を迫りました。電気をどのように使うべきか、発電はどうあるべきか。エネルギーという観点からは、各家庭が、街全体が無駄なくエネルギーを使用する、そんな家づくり、街づくりが必要です。都では震災後の緊急対応としていち早く、家庭における創エネルギー機器の導入を支援しています。
太陽電池はもう常識ですが、皆さんCMで「エネごリくん」がウホウホって宣伝してるエネファームをご存知ですか。エネファームは燃料電池の通称です。太陽電池だけだと日照に左右されて電気の供給が安定しません。また太陽電池がつけられないという家だってあります。ですから、東京都は太陽光発電に加え、ガスによる発電=エネファームも支援しているんです。ちなみに我が会派の先輩議員が、両方を設置したところ、今年の1月は日照時間が少なかったものの160%の自給率だったそうですよ、すごい! さらに、そうやって家庭で創った電気をいざという時に備えて蓄えておくため、蓄電池の普及支援についても伺いました。
また、スマートメーターってご存知ですか。皆さんのお宅には毎月、電気会社の検針員さんが今月どれだけ電気をつかったか検針にきますよね。スマートメーターがあれば、家庭の電力使用量が30分単位で記録され、時間帯別の使用状況が分かるんです。そんな賢いメーターが普及すれば、季節ごと、時間ごとに異なる料金を設定することも可能でしょう。そうすれば、夏のピーク時に、頑張って節電した家庭がうーんと得をする、なんてことも可能になります。スマートメーターの設置がさらに進めば、同じ街の中で電力の不足している所、余裕のある所を常に把握し、相互に融通する「スマートグリッド」が実現するかもしれません! 質問と回答の全容については委員会のHP速記録からどうぞ。
3月20日、春分の日。久我山に住む知人が東京ジュニア・キッズ車いすバスケットボールクラブの事務局長を務めていて、今日はその交流大会。会場の障害者スポーツセンターは、北区と多摩の二カ所しかないんですが、目の見えない人が使いやすい音声付トイレなどが整備されていて、障害のある方にも便利な施設だなと思いました。知人の事務局長が、交流イベントを企画しても、その情報をどうやって発信していくかが課題だとおっしゃっておられましたが、障害を持つ人がスポーツをやりたいと思っても、いつ・どこで・どんなかたちで参加できるか、情報が不足しています。場所の確保も困難です。また障害者スポーツを支える人材の育成も遅れています。そんな様々な課題に対処していくため、国や他の道府県に先駆けて、東京都は障害者スポーツ振興計画を策定しました。多くの方に障害者スポーツに関心を持って頂くこと、障害者スポーツの場を障害のある方とない方の交流の場にしていくこと。2020年のオリンピック・パラリンピックの招致が、そのきっかけになればと願います。
下高井戸にある都立中央ろう学校は、大学などへの進学をめざし学力・資格・コミュニケーション能力などを習得できる全国で唯一の中高一貫型ろう学校です。平成18年に開校しました。今日、3月19日の高等部の卒業生代表の答辞は、自信と希望にあふれた素晴らしいものでした。学校の目指す教育が実践され、障害がありながらもそれに負けず、自己の可能性を伸ばそうとする学生たちが、それをしっかりと受け止めていました。
3月18日。大学時代の大切な友人が韓国で結婚式を挙げました。ゆっくり行きたかったのですが、結局は日帰りの強行軍になってしまいました。アニョハセヨー! 何しろ一人で外国に行くのは初めて・・・ちょっとさみしかった。金浦空港からタクシーに乗ってソウルのホテルに向かいました。40分くらい乗って3万ウォン、2000円くらいなんです、安~い! しかも高速料金は無料だし。運転手さんはとっても気さくで、「ハングルは話せない、イルボンサラミエヨ(日本人よ)」って言ったら、英語は話せる? って。つたない英会話で「結婚おめでとうって、韓国語でなんて言うの」とか色々教えてもらいました。
韓国式の結婚式も初めて。すごくカジュアルなんです。普段着、お祝いなし、で受付で食券を買う(2~3000円くらい?)。みんなにウェディングドレス姿を披露して、契をかわして記念撮影。そしたら食堂に移動してビュッフェスタイルで勝手に食べ始めて食べ終わる・・・。その間、新婚の二人は民族衣装に着替えて挨拶にまわってました。堅くなくていいかも! 彼女はとっても民族衣装が似合ってました、幸せそうでした、ウルウル・・・。とにかく「キョルン、チュッカハムニダ!(結婚おめでとう)」
3月16日の午前中は都立永福学園肢体不自由教育部門の卒業式に行きました。石原事務所時代からお世話になっている肢体不自由児者父母の会の杉原千鶴子会長もお見えでした。平成21年に開校したばかりの新しい部門で、様々なご苦労もあるそうですが、小林校長先生の愛情に満ちた眼差しと、PTA会長さんのご挨拶からは、学校・PTA・職員さんなどの皆さんが良き絆をつくられたこと、それを今後につなげていこうというメッセージが十二分に伝わってきました。
午後は建設委員会です。委員会は13時に開会。私の質疑順は最後から2番目だったので午後6時半ごろだったと思います。まだ慣れないので、他の委員が質問している間も、ドキドキです・・・。
今回も行政には行政にしかできない仕事がある、それは街づくりであるという視点から、まず開かずの踏切をなくす連続立体交差化事業に関し、来年度都市計画決定を予定している京王線笹塚~仙川駅間の構造形式の選定方法や耐震性、環境配慮などについて質問しました。
また街づくりの大きな核となりうる都立高井戸公園の整備について伺いました。公園の予定地は京王井の頭線・富士見ヶ丘駅の南側に広がり、旧NHKグラウンドや王子製紙のグラウンドなどをあわせ17haにおよぶ規模です。現在も避難場所に指定されていますが、整備後は防災機能の向上や、地域の憩いの場となることが期待されます。しかし、その周辺の区道はほとんどが幅員4メートル未満の狭い道路で、多くの来場者をさばける状況とは到底思えません。周辺の住民や商店会などにも影響を与えます。単に公園を整備するだけではなく、近隣の道路・河川・公園と一体的に整備すべきと申し上げました。
最後はやっぱり電線の地中化について。都の努力で、首都高速中央環状線の内側の「センターコア」地域では電線の地中化は着実に進んでいます。また、多摩地域のように、新たに道路を整備するなら、最初から電線を埋めてしまうことも可能です。しかし、杉並のような住宅街では、歩道の幅に余裕がなく、現在の技術では電線の地中化は難しいんです。だから、狭い歩道の真ん中を電柱がふさいでいたり、お年寄りや小さい子供、障害のある方にとって危険な個所が残されてしまいます。しかし、防災の観点からも、そうした狭い道路でこそ、無電柱化が必要であると訴えました。そうした不便な道を放置すれば街の発展も阻害します。できないからあきらめるのではなく、どうしたらできるかを考えなければなりません。私の目指す、人にやさしい街を実現するためにこれからも頑張ります。建設委員会の速記録は都議会のHPでご覧下さい。
3月13日から15日には、メンバーではありませんが、初めて予算委員会を傍聴、仲間の応援もしました。三日にわたる長丁場に、各委員からは選出地域を反映した様々な質問がありました。東京って広いですから、私の暮らす杉並区のような住宅街もあれば、伊豆七島などの島、港を抱える地区、山々の連なる地域など、ところところによって抱える課題は違います。東京全体の発展と、地域の発展をどう整合させていくのか、東京と杉並・・・私の大きな課題です。それから、ユニークな質問もたくさんありました。山加あけみ先輩は我が党で障害者施策に熱心に取り組まれている議員ですが、他人からは見えない障害を持つ方が、社会生活の中でそのことを認識してもらうために、いま妊婦さんが付けているマタニティーマークのような共通マークを東京が作ったらどうか、と。2020年にオリンピック・パラリンピックを招致するんだから、世界に先駆けて東京がそういう試みをすることも必要でしょって。知事もデザインはどうしようって乗り気でした。議員になって何をするか、ライフワークってとても大切です。私はもちろん「電線の地中化」です。
3月10日の都立豊多摩高校の卒業式では、作詞金田一京助・作曲山田耕筰という校歌に感動しました。震災の時には、ご近所の妊婦さんが「家に一人きりで不安だから」と豊多摩高校に来られて、朝までいらしたとか・・・。地域に根差した学校なんですね。
都立市杉並高校は、全国大会でも受賞経験のある吹奏楽部が有名です! 今日、3月9日の杉高の卒業式では、式の進行に合わせた演奏がとっても素晴らしかった。
3月8日は、寺嶋寅夫さんの緑十字金賞受賞のお祝いの会。


3月2日は都立西高の卒業式。杉並には都立校が9校あるんです。私の都政レポートでもご紹介しましたが、農芸高校や工業高校、肢体不自由・知的障害・聴覚障害の子供が学ぶ特別支援学校など、東京都は教育に真剣に取り組んでいます。私も各都立学校から卒業式や入学式のご案内を頂いたので、喜んで出席させて頂きました。西高は進学校として有名ですが、クラスごとの卒業メッセージ発表など、とてもユニークな式でした。そうそう、男子はスーツ以外に袴姿など、女子も袴姿が多く、制服ではないのね。そういえば自分の高校卒業は何年前??? 指折り数えて・・・!? とてもショックでした。卒業生はこれから成人を控えて夢も可能性も広がります。と同時に社会的責任も生じます。思えば私が政治を志すきっかけを得たのも高校時代。不器用ながらその道を歩んでこられたのは、多くの人に支えられたからです。卒業生の皆さん、今までお世話になった家族や地域や社会を大切に、頑張って下さい!
2月28日には代表質問。13時に開会した本会議は、途中二回の休憩をはさみ21時近くまで及びました。また予算議会は一般質問も29日、3月1日の二日間にわたり、合計10時間を超える長丁場。この一般質問が終わると各委員会での審議が始まります。
2月24日、豊洲新市場視察。鮨商組合荻窪支部の新年会で言われたんです。豊洲見たことあるかって。敷地があんまりにも広くってあれじゃあ駐車場から物を運ぶのに、電動カーなりバイクなり用意してもらわんと不便でしょうがねえって。早速、行ってきました。確かに敷地は広い。その中に、水産卸売場、水産仲卸場、青果卸・中卸場の他、千客万来施設と銘打って、「食」中心の観光名所も設けられます。
ご指摘を受けた中卸場は、地上4階建てで、その3階に駐車場が設けられます。つまり、駐車場と中卸の現場を行ったりきたりする、通行手段はエレベーターになるわけです。実際に市場を使う方の意見を十分に伺って、使いやすい市場になるようお願いしました。この新市場を南北に貫き、豊洲大橋につながる環状2号線の整備も着々と進んでいます。施設を整備するだけでなく、そこに至る道路や、新交通などの輸送手段を確保することも大切ですよね。
2月22日、私にとっては初めての予算議会である第一回定例会が開会しました。知事は施政方針演説で、日本の将来を憂い、その中で東京が果たす役割を述べられました。オリンピック・パラリンピック招致、高度防災都市づくり、環境エネルギー戦略の展開など広い視点の中で、東京が国に先駆けてやらなければ、という強い意志を感じました。
今年は珍しく節分と初午が重なったため、多くの地域で、お稲荷様のお祭り「初午祭」が二の午の今日、2月15日に開催されました。初午祭では、「五穀豊穣」や「地域の安寧」が祈念されます。杉並区では農業を営んでいる(いた)お宅が多いので、今でもお稲荷様が大切にされています。屋外で炭をおこして、メザシや油揚げを焼いたり、近所の奥様達が集まって赤飯や煮物を作ります。古き良き伝統を地域の皆さんとともに支え、残していきたいと思います。
2月6日には、道路保全公社評議員として、八重洲・昭和通りの駐車場、江東区富岡地区における電線地中化の実例、明治通りの拡幅事業などを見てきました。道路保全公社は、駐車場管理から始まった都の管理団体。用地の買収や電線の地中化も手がけています。
2月3日は、もちろん節分です! 秘書の頃から、毎年いろいろな節分祭に出席させて頂きました。今年は議員として、また辰年の年女として! 節分祭に参加しました。とっても寒かったけれどお天気には恵まれて、地域の子供たちが「ちょーだーい、ちょーだーい」って豆を拾いに大勢集まってきました。皆さん全員に、等しく心をこめてツイナしました。

1月17日、第22回石原のぶてる後援会初詣旅行会。第9回から石原事務所のスタッフとして携わってきたイベントなので感慨ひとしお・・・。石原のぶてる代議士と里紗夫人は、本当に素晴らしい後援会の皆さんに支えられているんですよ。今年はスタッフの一員として参加しましたが、来年は「小宮あんり後援会」として参加したいなぁ!
1月9日の成人式にて、なみすけ君と。

平成24年正月。都議会議員として初めて迎えた新年です。町会、商店会、各種団体などの新年会に伺いました。どうしても同じ時刻に会が集中するので、ゆっくりと皆さんからお話を聞けなかったのが残念です。でも沢山の方から、とっても嬉しい新年のプレゼントを頂きました。何だと思いますか?
「体に気をつけて頑張ってね」という一言です。まるで家族みたいな・・・(涙) その言葉に支えられての怒涛の1月でした。

今年最後の議会も終わり、忘年会や餅つきやクリスマス会の毎日。12月28,29日の消防団の夜警にも顔を出し、寒い中の団員さんのご苦労に感謝。杉並は町会や防犯パトロール団体も熱心に夜警をしています。地域に根差した皆さんの手で街の安心安全が守られています。あ、12月26日には先輩の都議に誘われて初めてのラジオ出演もしました。江東区のローカルラジオ、レインボータウンFM・大江戸放送局。実は、ラジオって小さいころから大好きなんです。母がいつもラジオをつけて食事の支度をしたり、手仕事をしていたので、その影響なんでしょう。相手が見えない、声一本で気持ちや感動まで伝えるってすごいなぁと、常々思っています。今回の出演は30分。わたしは二言、三言でしたが嬉しかったなあ。
12月11日には、朝、杉並区立中学校対抗駅伝の式典に出た後、MXテレビ「東京もっともっと元気計画研究所」の収録でした。毎定例会後に、各党から1名ずつ出演している番組です。私は新米議員だし、テレビ出演なんて初めてなんで、とにかく緊張しました。で、今回のテーマは「都内の子供たちの体力向上のために!」 文科省の調査によると最近の子供たちの肥満傾向はこの30年で2~3倍になり、運動不足で体のバランスがうまくとれない子供が増えているそうな。そんな子供たちが体を動かす環境をどうしたら作れるかってテーマで話し合いました。子供たちに「昔遊び」を広めようという意見が出され、竹馬やお手玉に挑戦しました。改めて思うのは、一人じゃなくて友達と楽しむ遊びが多いこと。実践した自分が楽しんでしまいましたけど。確かに昔は学校から帰ると、勉強なんかしないで鬼ごっこや缶蹴り、かくれんぼが大好きだったな。小学校高学年になるころには、ファミリーコンピューター(いわゆるファミコン)が流行りました。学校から帰ると、お気に入りのファミコンのカセットを持って友達の家に行き、または友達が来て、一緒に楽しんだものです。運動不足もいけませんが、友達不足もいけません!
12月5日。自民党杉並総支部総務会で、自民党を支えて下さる、杉並支部総務の皆さんとご一緒しました。今回は都議という立場で、杉並支部の執行部に加わったわけですけれども、日ごろから何があっても自民党を支えてくれる、そういう皆さんに会うと本当に嬉しいし、がんばらなきゃって励まされます。最近、民主党もだめだけど、自民党もだめだ。政党じゃなくって政治家個人の時代だよ、なんて話も聞きます。けれど、私自身、議員になってつくづく感じるのは、議会制民主主義である以上、モノゴトは政党対政党で決まっていく、という現実です。個人で好き勝手なことを言っても、何も叶いません。政治家としての初心、信念を忘れてはいけませんが、政党の一員としての役割も心得なければならない。そう痛感します。
今日は12月1日。もう師走ではありませんか! そんなこと考える余裕もない毎日です。情報量も、やるべきことも多すぎて毎日が消化不良です。秘書の頃と何が違うって、一人で全部を担当するってことです。たった一人で、何人もの仲間がいた秘書時代と同じようにやろうなんて、いくら力んだってできるわけないですよね。とにかく、議会活動と政治活動のバランスが難しい、と悩める少女(?)なのです・・・。ま、悩むまでもなく、一日一日、全力投球しかないですよね。すいません、うだうだと書きました。
というわけで、今日は、建設委員会での質問のきっかけともなった歩道橋を、地元の町会長さんとともに視察しました。その歩道橋は学校の正門の目の前。なるほど、子供や自転車や歩行者が、歩道橋で狭くなった道路を行きかっています。子供と自転車の事故もあったとのこと。事故は心配ですが、結論を出す前に、まずは現状を把握しなければ。という事で、実情を調査してもらいました。すると、登下校時には、児童の利用がかなりあることが判明。それでは、簡単に撤去するというわけにもいかず、これから学校側と町会とで慎重に判断するということに。
とは言うものの、歩道橋によって道路が狭められ、危険な状態にあることも事実です。地域の方々にとって、どんな形が最善か、一面だけを見るのではなく、いろいろな意見を聞き、調査を重ねて、時代に即した街づくりをしなければなりません。
第二、第三、第四定例会の冒頭には必ず知事の所信表明があります。今日、11月30日の所信表明は、まず原発事故後のエネルギー問題について。「国の舵取りを担うべき政治が、どの程度の経済成長を望み、そのために、いかなるエネルギーを、どれだけ確保するかという国家の基本戦略を構築することもできておりません」との知事の言葉には、その通り! と痛感します。そうした議論がないまま、原発に賛成か反対かを決めることは無責任です。また、「被災地の厳しい現実を前にすれば、今、求められていることは、口先だけの励ましではなく行動」と断言し、安全性も十分確認し、情報公開も徹底した上で、宮城・岩手県からのガレキの受け入れを他に先駆けて行った姿勢は、知事らしいご決断であったと思います。「言うまでもなく、東京は日本の頭脳部・心臓部です。その果たすべき役割は、首都として国家の危機を乗り越える牽引役になることです。それゆえ、都は、ひとり東京のためのみならず、日本全体のためという大きな志を持って政策を展開していかなければなりません。」
知事の言には本当にハッとさせられます。
11月29日は、石原のぶてる代議士の秘書時代に担当していた、女性部「あいあい会」の東地区幹事の皆さんと久しぶりの幹事会。今回は、都議会議員として参加しましたが、なんだかまだスタッフ気分が残っていて、会の運営が、進行が、気になる気になる、落ち着かない落ち着かない・・・。立場は変われど、あいあい会の皆さんと心ひとつに、石原のぶてる代議士をこれからもお支えします! 里紗夫人にも会えてとっても嬉しかったです。翌日開催の西地区幹事会は、議会と重なり参加できず残念でした、クスン。
第一、第二分科会を終え、今日、11月14日は全体での決算審査。私は理事として交通局関係の質疑に立ちました。
まず都営地下鉄の安全対策について。現在は都営地下鉄の運行と電気の供給、信号などが別々に管理されています。都はこれを一つに統合する総合指令本部を構築中で、事故や災害などの際、迅速に復旧を行ったり、利用者により正確な情報を提供しようとしています。
また、ホームの安全対策について。利用者10万人以上の駅では、ホームドアの整備、またはどちらが線路側かを示す内方線つき点字ブロックを整備するとの国の方針に基づき、都営三田線に続き大江戸線でホームドアの設置を進めています。三田線では転落事故が全くなくなった例からも、ホームドア設置の効果は大です。
痛ましい転落事故を防ぐためにも、一日も早くホームドアが整備されるよう検討をお願いしました。
11月11日、ものづくり議員連盟視察で都立産業技術研究センターに行ってきました。ものづくり産業の総合的な支援拠点として、先月の10月3日に業務を開始したばかり。従来の技術支援に加え、新たな設備や機器により、企業などから持ち込まれる様々な製品や材料の金属強度や疲労試験を行ったり、X線分析を行ったりもしています。最近は、放射線検査の依頼が多いとのことでした。中小零細企業にとっては自前で最新の検査機器を導入するのは、大きな負担ですよね。技術支援だけではなく、製品開発のための機器や場所も提供しているんです。企業や団体、大学などとの共同研究も進められ、新技術の開発が期待されています。この日は東京都工業団体連合会の皆さんにも同行頂きました。工団連の方からは、「民主党政権になって研究費まで削られているが、私は地磁気観測装置を日本各地に設置している。そうした研究調査活動はいつ起こるか分からない大震災のためにも重要な取り組みだ」と熱心なお話を伺いました。杉並区にはものづくり産業があまりないんですが、日本が誇る技術、特に小さな企業が持つ高い技術を結集して、世界と向き合うためにも、そうした企業を支援する東京都の仕組みが必要です。
11月8日。各局の政策委員会や予算説明、また公営企業決算特別委員会の総括質疑に向けた準備も入って、頭はますます大混乱。あっという間に、建設委員会の質問日になってしまいました。念願の建設委員会委員になって、初めての質問だったので、今回は建設局の事業について幅広く質問しました。
高度成長期に集中的に建設された社会資本は、今後10~20年の間に一斉に更新時期を迎えます。それらを維持するための費用が多額にかかれば、新規の投資もままならなくなってしまいます。そんな社会資本の維持について伺いました。都は最新の技術で耐久性を向上させ寿命を延ばすものと、新しく更新するものを区分するなど、バランスのとれた社会資本の維持・更新に努めているとのこと。
また身近な社会資本についても伺いました。最近、表参道の歩道橋を撤去するかどうかが問題になっているとの報道がされていました。私も歩道橋について、杉並の町会長さんから「利用者も少なく、狭い歩道をさらに狭くしている歩道橋は撤去すべきではないか」という相談を受けていました。そこで、都として歩道橋の撤去についてどう考えるか、また歩道橋の強度についてただしました。歩道橋は地震や風に強く、阪神・淡路大震災でも一つも倒れなかったとのこと。撤去については、利用者が少ない、通学路に指定されていない、近くに横断歩道があるなどが前提条件とのことでした。確かに、お年寄りは利用しなくなったとしても、子供たちが通学の際、車の多い道路を安全に渡るために必要な場合もありますよね。
それから、都道などの街路樹の根上がりについて。最近健康のためにウォーキングやランニングをする方が多くなりましたが、歩道には大きく育った街路樹の根が盛り上がって、つまずきやすい個所や水がたまりやすくなっている個所がたくさんあります。緑の維持管理と合わせて必要な路面補修をしっかりやって頂くようお願いしました。
最後は電線の地中化について。電線管理者や区市町村との連携について、また狭い道路での無電柱化に必要な技術革新について伺いました。都は平成20年度から、区市町村の無電柱化を支援しています。平成23年度は、11区3市がこの補助制度を活用して無電柱化事業を進めています。杉並区でも青梅街道の天沼陸橋から荻窪駅南口にかけてこの制度を利用し、無電柱化事業を行っています。また、区市町村の職員に対し、設計や施工の技術支援も行っています。
今回の質問を通じて感じたのは、社会資本の維持・更新、新規投資、高度防災化、バリアフリー化など、街づくりをバラバラではなく一体として行うことで、二重投資を防ぎ、効率的な街づくりをすることの重要性です。全容は委員会速記録をご覧下さい。

11月6日は、上高井戸町会のもちつき。

11月1日は、環境建設委員会。何が大変って、公営企業決算特別委員会の質問に追われながら、環境・建設委員会も同時にあるものだから、頭の切り替えがうまくない私にとっては、初めてのことだし大わらわです。
環境と言えば、やっぱり都知事が断行した排ガス規制、ですよね。規制が決まった当初は、何事も大きな影響の出ることはそうでしょうけど、多くの事業者さんにとって、大変なご苦労だったわけで、私も石原事務所にいた当時、苦情も受けました。でも都も積極的に支援し、事業者さんも東京の環境のためにって頑張ってくれて、みんなが本気でやったからできたんですよね。その結果、地元の方からも「環八の空気がきれいになった」との声をよく聞きます。実際、先日井荻トンネルを視察に行きましたが、煤(すす)の量はかつての半分くらいに激減してるんです。
そんな観点と、自分が大の自動車好きということもあって、いま都が取り組んでいる自動車の環境施策「エコドライブ」について伺いました。これはCO2が2割も減るという運転技術のこと。当然、多額な予算もかかりません。ぜひ広めていきたいですよね。興味のある方は議事録をどうぞ! もう一つ、ハイパースムーズ作戦ってご存知ですか? 混雑する交差点の信号を、時間帯によって信号の長さを変えるハイテク信号機に取りかえて渋滞を解消し、CO2を減らそうという画期的な取り組みです。東京都がこんなこともやってるなんて、知らなかったでしょ!
10月28日。公営企業会計決算特別委員会第一分科会で質問しました。私は、この分科会の副委員長に任命されたんです。委員会の前に、理事会で委員会の運営について各党が調整します。新米議員、いい勉強になりました・・・。そもそもこの第一分科会は、都バスや都営地下鉄を扱う交通局、中央卸売市場、臨海開発事業や港湾事業を扱う港湾局の会計の決算を審議します。都バスや都営地下鉄は身近だけど、中央卸売市場や港湾の課題まで扱うなんて・・・・頑張って勉強しなくては!
この日はまず、平成22年度の中央卸売市場の決算について質問しました。東京には大田や築地をはじめ11の中央卸売市場があります。卸売市場は私たちの食生活を支えてきました。しかし、近年の少子高齢化や単身世帯・共働き世帯の増加により、冷凍食品やレトルト食品、外食の増加など、私たちの食生活も変わっています。そのことが、市場の取扱量を減少させています。最近はネットでの買い物や、地域の直販なんてのもにぎわっていますよね。卸売市場は、直接消費者に販売しないので、消費者ニーズへの関心が薄く、時代の変化に遅れがちだと思います。昨今の卸売市場が抱える構造的な課題や、少量多品種への対応など、中央卸売市場が時代にどう対応していくのか質問しました。
それから市場といえば「築地の移転」ですよね。最近ではマスコミもあまり取り上げないものだから「あの話、どうなったの?」って聞かれることがあります。築地の移転は、私が議員になる前に、都議会で大きな争点となりましたが、現在は平成26年度の開場を目指して、土壌汚染対策、市場関係者の移転支援、近隣の道路整備などが進められています。現在の築地市場が古く、狭くなったこと、品質の管理などを考えると、豊洲に移転すると決断した以上は、必要な対策をしっかりと講じた上で、円滑な移転に集中すべきです。
10月23日は、すぎなみ舞祭り

10月22日は私学振興拡充大会に出席しました。公立校が教育の重要な柱であることは当然ですが、個性豊かな教育を行う私学は、日本になくてはならない、教育のもう一本の柱です。
10月20日。深大寺植物公園50周年記念式典に環境・建設委員会委員として参加、タイムカプセルを埋めました。
10月10日。 私が顧問を務めさせて頂く西成会の★40周年★ 西成会は、子供から若者、お年寄りまで、みんなが一体となって暮らす街です。子供も多い! お年寄りも大切にされ敬われています。そんな街が昔は日本中にあったのでしょうが、いまではむしろ珍しい街になってしまったのは…・悲しいことです。顧問として西成会の発展の一助となれるよう、都議会新人がんばります!

9月29日。初めての一般質問に立ちました!!! キャー(★。☆;)緊張しました・・・。このHPで映像や会議録が見られますので是非どうぞ!
皆さん、町会や自治会に入会していますか? 私は小泉久則さんが会長を務められる成一自治会に入会し、今日、9月25日は防災訓練に参加してきました! ここに倉庫があってポンプが入っているのかぁ、とか、ここが防火水槽かぁなど、とても良い勉強になりました。震災以降、防災意識の高まりとともに、自助・共助の重要性が言われています。自治会の一員として、自分のことに、そして自分の住む地域に責任を持てるよう、自治会の皆さんと協力していきたいと思います。
9月14日は、白幡クラブ50周年

9月10日は、馬橋稲荷神社例大祭



9月3日は、地元杉並の脇坂達也区議と久美子さんの結婚式。おめでとう、お幸せに!
9月2日から12日までの10日間、107の様々な団体からご要望やご意見を伺いました。前回の要望聴取で伺った震災対策への実施結果や取り組み状況を確認し、また新たな要望も頂きました。
8月も末になると、杉並では夏祭りのシーズンです。大震災以降、各地でお祭りやお祝い事が自粛されました。でも、こうした時だからこそ、日頃から地域をお守り頂いている神々様を「おまつりする」ことが、大切なのだと思います。地域のきずなが失われつつある東京で、地域の心を結ぶ一番のイベントがお祭りです。杉並では、お祭りを通じて、みんなで協力して一つのことを達成する喜びが、街の伝統文化が、しっかりと子供たちに伝えられています。
8月29日~31日。 都議会自民党の政策委員会が開催され、いよいよ来月開会する第三回定例会にそなえ、各局から事業課題について説明を受けました。前回の定例会に続き、各局とも高度防災都市づくりのための施策が中心です。
8月24日、25日の両日、防災・危機管理を所管する総務委員会で、宮城県内の被災状況や、復興に向けた取り組みを視察しました。名取市の閖上(ゆりあげ)地区や仙台市若林区の荒浜地区は、住宅も商店もすべて流されて、建物の基礎だけが残っていました。津波のすさまじさに、言葉を失いました。
6月に岩手を視察した際は、ガレキも散乱したままで、一面茶色の荒野でしたが、それから2カ月。今回の宮城では、ガレキは取り払われ、一面に草が生い茂っていました。震災後に植えられたひまわりが咲く姿に、時の流れを感じました。
翌日は南三陸町を訪れ、担当者から復旧・復興計画について伺いました。高台移転を検討しているものの、費用等につき国の方針が定まらず、なかなか進まないとのこと。説明された担当者の一言一言に、悲しみを抱えながらも、復興・復旧に必死で取り組む強い意志を感じました。災害の復旧から、新たな街の復興へと、東京都ができることなら、全て協力すべきだと再認識しました。
8月9日はパールセンター七夕祭り。石原のぶてる代議士の事務所はパールセンター商店街の中にあるので、私もパールセンターの皆さんとは、長いおつきあいをさせて頂いてます。皆さん気さくであったかい人ばかり! 今年は私の髪をカットしてくれている美容師の平井真由美姉貴と七夕祭りを楽しみました!
8月1日。都議会自民党の新執行部が発足しました。私は副幹事長という大役を頂きました。また、第四回定例会から建設委員会への所属が決まりました。同時に公営企業会計決算特別委員会理事に。これまで杉並のことは必死に勉強してきたつもりですが、東京都のことについては・・・勉強しなければいけないことが山積です
7月24日は、馬橋ご近所付き合い広目隊防犯バザー

7月11日には、人見街道と旧早稲田通りを、都の建設事務所の担当者と実地検分してきました。幅50センチの歩道を電柱や街路灯がふさいでいる場所、人と人とがすれ違えない場所、そんな所がたくさんあります。地域の方々のご努力により、過去にも様々な改良が加えられてきましたが、道幅の狭さゆえに、不便な箇所が取り残されたままになっています。現時点では、ただちに電線の地中化を進めようとしても、技術的に困難な点もありますが、ならば知恵を出して、それを乗り越えていかなければなりません。
「役所の人は、『何故できないか』について説明したがる。しかし、その説明に納得せず、自分の頭で考え、沢山の人の知恵を集め、『どうやったらできるか』を見つけるのが、政治の仕事だ!」 それが、石原代議士に教わった、政治と行政の関わり方です。地域の声とNTTや東京電力などの民間企業、そして区・都の行政をつなぐという政治の役割を果たして、街づくりの骨格となる都道の整備を目指します!
6月27日、28日には、二日連続で初めての質問に立ちました。政治と行政は、民間にできないことに集中すべきだ、というのが私の持論です。そこで、政治・行政と民間の役割分担という観点から、三つの質問を行いました。
第一に、被災地からの避難者の受け入れ態勢について。住まいを提供することは民間に任せるべきか、行政がリードすべきか。行政と民間の仕事の境界を考える上では、難しい問題です。震災後の混乱状態にあっては、行政が被災県の要請に応じ、被災者の住宅を供給すべきです。ただ、ある一定の期間を経過した後は、被災者の多様なニーズに応えるためにも、民間の力を活用することが、支援体制の充実につながります。これまで都は都営住宅や旧赤坂プリンスホテル等に4000人以上の避難者を受け入れてきました。しかし、震災から三ヶ月が経過し、
避難者の方々も介護や通学といった事情で、都営住宅のない地域で生活せざるをえない方も出てきた。そうした多様なニーズに対し、都は直接住宅を供給することから、避難者のニーズと民間との調整役へと役割を移すべきではないか。その観点から質問しました。総務局からは、住みなれない土地で避難者が孤立化することのないよう、戸別訪問など様々なサポートをしていきたいとの、回答を得ました。
第二に、懸念される今夏の電力供給について。これは平常時であれば、完全に民間と民間との話です。しかし、今回のような非常時においては、行政の役割は重要です。この三月には計画停電が実施され、都民の生活に大きな影響を与えました。私も、あらゆる業種の方々から「電気が止まったら商売にならないよ」という声を聞いています。また、一人暮らしのお年寄りからは「計画停電以来、精神的に不安定で、外出を控え引きこもるようになってしまった」という声もありました。もちろん、節電は重要ですが、電力が安定しないことで東京の経済が停滞することは、被災地の復興を牽引する立場からも望ましくありません。幸いなことに、東京電力が火力発電所の復旧などにより電力供給の強化を図っていることで、計画停電は避けられそうな見通しです。しかし、万が一の事態に備え、東京都が行う停電対策について質問しました。総務局からは、節電アドバイス事業をはじめ、医療機関や社会福祉施設への自家発電機の導入の支援など、都民生活を支える施設の電源確保を進める旨、回答を得ました。
最後に、私のライフワーク「電線の地中化」について。電線の地中化は、民間ではなく完全に行政の仕事です。電線を地中化することで、ライフラインの耐震性も向上します。電柱が倒れ、避難路がふさがれることも防げます。今回の震災は、電線の地中化の重要性を改めて示したと言えます。杉並には国道は少なく、主要な幹線道路はほとんどが都道です。しかし、その都道の中には、歩道の幅がわずか50センチで、人と人とがすれ違えなかったり、電柱が歩道をふさいでしまっているような、不便で危険な箇所がいくつもあります。防災の観点からも非常に問題です。しかし、都道全体の電線の地中化率は、約四割にとどまっています。いまこそ電線の地中化を一層推進すべきです。私のこの質問に対し、総務局は、電線の地中化により、①災害時の救助活動が円滑に実施できること。②避難道路が有効に機能すること。③架空線に比べて破損率が低下すること、などの効果があり、防災上有効であると認めた上で、国とも協力し、電線の地中化に取り組む旨、回答を頂きました。
政治・行政は本来、民間にできないことに集中すべきですが、その境界線は、その時々の状況によって変化します。今回のような、非常時においては、当然、普段では考えられないような行政の役割が生まれます。今回の質問を通じて、改めて政治・行政と民間との役割分担についての問題提起ができたと思います。
6月17日。私にとって初めての都議会・第二回定例会が開会しました。
補欠選挙で選出された議員は、冒頭に自己紹介があるんです。すごく緊張しました・・・。よかったら都議会のホームページでご覧下さい。私は総務委員会に配属されました。新人の私にとって、都の取り組みの全体像が把握できる委員会だと思います。
6月2日、3日には、私も被災地に行ってきました。岩手の陸前高田と大船渡市。震災から三ヶ月がたとうとしていましたが、いまだ街のあちこちにガレキが山積み。撤去されてはいませんでした。
盛岡の東京事務所で聞いた話にはハッとさせられました。震災後、通信手段がなくなったことについて私が聞くと、「とにかく道です。しっかりした道さえあれば現地に赴き、直接見たり話したり助けたりできるんです」と。現地に行って、改めて釜石市で被災した方から伺った、当時の状況が納得できました。「地震の当日、事業所の三階でひざ上まで水につかりながら翌日の助けを待った。生きた心地がしなかった。携帯なんて通じず、人も車もタンクも全てがあっという間に流された。電信柱が三つに折れて車に刺さることなんて、考えられないでしょ」 やはり、現場を訪れなければ、分らないことってあるんです。
そうそう、5月25日には東京都の所管する環七の地下調節池、31日には和田と中野・弥生をつなぐ下水の貯水幹線、阿佐ヶ谷駅前に今年度完成する予定の下水道管にも、もぐってきました。皆さんは、平成17年に起きたゲリラ豪雨を覚えていますか。わずか30分で100ミリを超える雨が降ったんです。
杉並区では3000戸以上の浸水被害が発生しました。阿佐ヶ谷駅前は下水があふれてひざ上まで水につかりました。しかしこれらの貯水施設の整備で、それ以降被害は出ていません。環七地下調整池には、完成まで1010億円の巨費と20年の歳月が費やされました。
また和田・弥生幹線も500億円、10年以上かけた大事業です。しかし、水害の被害を考えれば、必要な公共事業だと思います。もう一つ、驚いたのは地震の影響が地下の幹線には一切出ていなかったこと。地下は地震に強いんです。改めて、一日も早く電線の地中化をすすめなければ、と実感しました。
6月7日。多摩川の水再生センターに行ってきました。水の再生能力は世界一のレベル。そのため、多くの東京都の上下水道局の職員が、現地で被災者の支援に取り組んでおられます。震災後、金町浄水場から放射能が検出され、大きな問題になりました。その時、皆さんは自分がどこからきた水を飲んでいるのかって、疑問に思いませんでしたか。実は、埼玉から杉並へとのびている「朝霞上井草線」という水道の幹線が、300万の都民を養っています。
そして、上井草の浄水場から、さらに多くの枝線に水を送り出しています。東京の重要な二つの水道幹線うちの一つなんですよ。昭和41年に完成した朝霞上井草線は、耐用年数が約40年とのことですから、もう寿命を迎えます。しかしその重要な幹線を代替する幹線は存在しないんです。代わりの幹線がないってことは、現在使用中の幹線の点検もできないわけです。
震災のことを考えれば、この際、耐震性に優れた新しい幹線をしっかりと整備しなければなりません。いま、新しいルートの選定が行われています。あらたな幹線を作るには相当の費用がかかるとは思いますが、都民の暮らしの基本「水」を守るためには、必要な投資だと思います。
5月10日、13日 6月の議会に向け、被災地の支援状況、東京での影響などについて、東京都よりヒアリング。対症療法には限界があります。街そのものの防災力を高める街づくりが必要だと痛感しました。続いて、5月の16日から19日まで、連日、50におよぶ各種団体から、ご要望を伺いました。「電力の安定供給」「行き過ぎた自粛ムードの解消」「緊急融資制度の充実」「自家発電・省エネ設備への助成」など切実な声が聞かれました。普段、当たり前のように使ってきた電気や水が止まるかもしれない。それがどんなに不安か・・・。今回の震災で、改めて感じました。水や電気がなければ、暮らしは成り立ちませんよね。上・下水道は、東京都の最も重要な事業の一つです。
4月10日。皆さんの力強い応援により12万7859票を頂き、都議会に送り出していただきました。心より御礼申し上げます。
高齢化の進行
日本の人口は2005年に1億2777万人とピークをむかえました。そしてその後、2035年には1億1068万人、2050年には9515万人と減っていきます。日本の人口は、戦後60年かけて5600万人増えましたが、これから約60年かけて同じ人数が減少していくのです。2071年で7240万人と予想されています。東京都の23区では、2020年までは約一%増えるのですが、それからは減少に転じます。杉並区は2015年まではほぼ横ばいですがその後は、東京より一足早く減少に転じると予想されています。地方部では既に深刻な問題となっている高齢化の問題は、東京ではこれから本番をむかえるのです。東京23区での65歳以上のお年寄りの比率は、2005年の18.8%から2035年には30.4%に増加します。人数で言うと、159万人から257万人と100万人近くお年寄りが増えるのです。これは香川県の全人口に匹敵します。杉並区でも7万人近く増え、比率でいうと18.8%から33.1%となります。
このような変化は、社会保障、国の成長力などさまざまな分野に影響を与えるでしょう。当然、公共の社会資本への投資も制限を受けることになります。特に、「街づくり」に関しては、歩道の幅を確保する、電柱をなくす、憩いの場を失わない、踏切をなくす、など、急いですべきことが山積みといえます。限られた予算で、それらの課題を成し遂げるには、「選択」と「集中」しかありません。
未来への視点
私は、政治の最も重要な役目は、民間では決してできないことを、きちんと、粛々と進めていくことだと考えます。その第一は街づくりです。そのために必要な公共資本の整備です。公共事業は無駄が多いとよく言います。もちろん、無駄を省くことは大切ですが、未来を見据え、必要な投資を、しっかり行っていくことは欠かせません。公共事業は、東京都だけでなく、国、そして杉並区との共同作業です。国の仕事は規模も大きく、新聞やテレビなどでもよく目にします。区の仕事は私たちにとって身近なものです。しかし、東京都の仕事の重要性は、その間に挟まって、意外に認識されていないのではないでしょうか。ところが、杉並区において、東京都の行うべき分野は極めて多岐にわたっています。
災害の備えが必要な神田川、善福寺川、妙正寺川は都が管理しています。下水道は全て都の管理です。区民の憩いの場である善福寺川緑地、善福寺公園、和田堀公園なども都の管理です。また、区内には3354戸の都営住宅、998戸の都公社住宅があります。区内の道路のうち国道は甲州街道のたった4kmだけで、環七、環八、早稲田通り、人見街道などの幹線道路はすべて都道なのです。
日本全体では、既存の社会資本の維持や管理に、2011年度から2060年度までの50年間に、なんと190兆円もの巨額の費用が必要だと試算されています。今後50年間、新しい投資を全くせずに、現在の公共事業の予算をすべて既存の施設の維持・管理にあてたとしても、30兆円も不足してしまうのです。そんな中で、私たちはこれまで以上に、無駄を省き、本当に必要な部門に集中して、投資していかなければなりません。
街づくりへの投資
私が最も重要と考える投資とは、街づくりへの投資です。特にお年寄りに優しい街創りを目指します。お年寄りに優しい街を創るためには、道路、公園、住宅などいろいろな面からの取組みが必要です。そしてお年寄りが安心して暮らせる街とは、すなわち障がい者の方々にも、子どもたちにもやさしい街、人にやさしい街に他なりません。
ドイツにシュトゥットガルトという街があります。そこでは、まちなかの歩行者空間や市場などが充実していて、お年寄りが並木道のベンチや広場、市場などに集い、豊かなコミュニティーが築かれています。これからの高齢化社会を迎えるにあたり、ただ長生きするだけでなく、老後をいかに楽しく過ごすかが大事です。そのために、私たちが暮らす街は、お年寄りが楽しく過ごすことができ、豊かなコミュニティーを生む土俵となるものでなければなりません。
笑顔で買い物のできる商店街のある街
これまで、商店街といえば、ただ買い物をする場所でした。しかし、それだけでなく、自動車の通行の少ない道路や、空き店舗などを活用して、コミュニティー空間として再生することを考えたらどうでしょうか。大分の豊後高田市では、空きビルを活用して、体操ができる元気アップ教室などの高齢者の交流施設を整備しています。千葉市では、ビルの跡地にお年寄りから子供まで対象にした交流施設を整備しました。今ある施設を工夫して使えば、商店街の活性化にもつながると思います。また、さらに発展して、商店街が共同で買い物をしたものを自宅まで届けるサービスをするとか、商店街への送迎をする共同のバスを運行するとか、できることは、まだまだ沢山あると思います。買い物をするだけではなく、同時にお店の人達とのコミュニケーションがはかれる商店街は、東京の守るべき財産です。
電線の地中化で、人にも車にもやさしい街
まちなかの空間を快適で安全にする上で、道路の電柱の地中化を進めていくことは、大きなポイントになると、私は考えています。先ほども言ったように、杉並にはほとんど国道はありません。主要な幹線道路はほとんど都道です。都道といっても、道幅が狭い道、段差のある道、歩道のない道もあります。白線が引かれただけの歩道の幅がたった50cmという場所さえあり、歩きにくく、ましてや車いすで通ることなどは考えられません。
電線の地中化は東京全体で現在計画の4割にとどまっています。東京23区の平均は45%。千代田・中央・港の都心三区の地中化が進んでいるのは当然として、杉並区では23区の平均の半分以下、20%にも届いていません。特に、私が取り組みたいのは、幹線道路だけではなく、もっと狭い道路、商店街や駅の回りなどで電線の地中化を進めることです。
石原代議士が国土交通大臣の時代に、幹線道路だけでなく駅前商店街などで電線の地中化を進める仕組みが整備されました。永福町駅の北口商店街もその成果で、地下に電線を収容するパイプは既に完成し、後は電線などを下ろし、電柱をなくす作業が残るだけです。現在はさほど広くない通りに、バスが通り、車が通り、自転車が通り、買い物客や通勤客がひやりとすることも少なくありませんが、地中化が完成すれば、それぞれのレーンもはっきりして、人にも車にもやさしい商店街ができるでしょう。このように、そこに住む人、通る人に目を向けて、安全、快適な「道」を作るには、国、東京都、杉並区、電気会社、ガス会社などが協力していかねばなりません。私はその架け橋になろうと決意しています。
お年寄りが安心して住める街
今後、増え続けるお年寄りが全員、老人ホームなどの施設に入居することは、地価の高い東京では実現は難しいでしょうし、また全てのお年寄りが施設に入ることを望まれるわけではないでしょう。やはり、普段はご自分の家にいて、医療・介護などのサービスは在宅で受けやすい環境を作っていくことが大切ではないでしょうか。杉並区内には、都営住宅が39団地3354戸、UR(都市再生機構)の住宅が4団地、906戸あります。それをお年寄りの方々のことを考えて、再編していくことに取り組みたいと思います。
都営住宅の高井戸西アパートは、平成16年に建て替え、682戸を695戸に再編し、うち42戸をシルバー向けの住宅として整備しました。このような取組だけでなく、老朽化した賃貸住宅は高層化し、高層化によって生みだした土地を活用して介護施設を建設するなどの方法を組み合わせていけば、既にある施設を有効活用して、お年寄りが、すぐそばでいつも見守ってもらえる安心な住まいを実現できると思います。例えば、URが管理する足立区のパークタウン東綾瀬では、1096戸の老朽化した賃貸住宅を、高層化しながら建て替えて962戸の住宅に再編し、高層化で生みだした土地に介護施設を建設しています。
開かずの踏み切りの解消
もう一つ例をあげるなら、鉄道の連続立体交差化事業です。東京都内には、通勤の時間帯などで、1時間に40分以上踏切が閉まっている、「開かずの踏切」が277個所も残っています。杉並区内には27個所あります。西武新宿線下井草駅西側の旧早稲田通りとの踏切や、京王井の頭線永福町駅西側の荒玉水道道路との踏切などで、イライラした経験をお持ちの方も少なくないと思います。連続立体化事業には、とてもお金がかかりますが、目に見える効果が大きいのです。例えば、小田急の成城学園前と登戸間の立体交差化では、車の走行時間の短縮、走行コストの改善で、年75億円の経済効果が発生したと試算されています。このような事業は、だらだらと続けるのではなく、期限を限って、集中的に投資し、実現する仕組みに変えていきたいと考えています。
人にやさしい街づくり
先ほどから述べてきた通り、東京都も杉並区も、財政事情が厳しいことは事実です。しかし、それでも公共事業は未来への投資だということを忘れてはいけません。また、経済を下支えするという側面からも大切な支出と言えます。だからこそ、無駄を省き、本当に必要な事業に「選択と集中」していかなければなりません。お年寄りにやさしい街づくりをするための投資は、その代表選手だと私は考えています。
これまで、私は石原代議士の下で、国政、都政、区政について学んできました。そして私は、政治は、民間ではできないことをするべきではないかと、改めて考えています。そのための方策を、いくつかの観点から述べてきました。私は、未来を見据えた、人にやさしい街づくりをしたい。そのために、東京の持てる力を活用したい。そう思っています。皆さんのお力をお貸し下さい。
こんにちは、小宮あんりです。
オギャーと生まれるその瞬間まで
母はオギャーと生まれるその瞬間まで、私が男の子であると確信?していたそうで、名前は当時ノーベル賞を受賞された江崎玲於奈博士の名前をそのまま採用!するつもりだったそうです。はたして結果は女の子で、驚いてしまった母にかわり、わたしの安里(あんり)という名前は叔母が(なぜか)命名したそうです。当時は杏子の杏が常用漢字として認められておらず、「安らぎの里」となったそうですが、その頃ではまだ珍しい名前だったので、よく名前を“ヤスリちゃん”などと間違えられたりしました。
私は、父が生まれて育った埼玉県比企郡吉見町で育ちました。杉並から北に55キロ、今でも人口2万人の小さい町ですが、星空がきれいで手打ちうどんがとっても美味しい!自慢の故郷です(隣町の東松山市はこれまた美味な焼きトンがB級グルメとして有名です)。父は一昨年定年を迎えるまで、東京の全国共済農業協同組合連合会に勤務。現在は、JA埼玉中央理事として活動しています。母は嫁いでからすぐ、自宅から自転車で3分の吉見町商工会に勤務し、昨年定年を迎えるまで祖母の面倒をみながら働いて父とともに家計を支えてくれました。
祖父母への思い
両親とも共働きだったため、私は生れてからすぐ同居する祖父母に面倒をみてもらいました。祖父は農業の傍ら、近所の商店に勤め、お米や灯油など日用品の配達をしていたので、日中はもっぱら祖母と過ごしていたそうです。当時は三毛作といって米、麦に次いで、イチゴも収穫していたので、祖母は祖父とともに農作業をしながら、私の面倒を見てくれました。そんな祖母は無理がたたったのか、私が2歳半の時にくも膜下出血で倒れ、2週間意識不明となりました。のちに祖母から聞いた話では、三途の川まで見てきたそうです。祖母は意識が回復したものの、右半身不随の身体障がい者となりました。
母も勤めがあったので、わたしは3歳を迎える前に、吉見町下砂保育園に入園しました。小さかったから、というより当時は相当な人見知りで、保育園に到着しても入口から一歩も園内に入らず、お昼も食べずに泣き通しで、そのうち先生が外に敷いてくれたゴザに座り込んで寝てしまうという日を一週間も続けたそうです・・・先生に大感謝です。保育園への朝の送りは母が、迎えは祖父が来てくれました。祖母が身体が不自由になってからは、祖父にべったりだったそうです。私が4歳を迎えたころ、そんな祖父が急逝しました。心筋梗塞でした。祖父が亡くなったことは、当時あまり理解できなかったように思います。記憶が途切れているのです。その後、思い出すのは、リハビリをして何とか身の回りのことを一人でできるようになった祖母に、再び面倒を見てもらうようになった小学生時代です。
小学校まで歩いて一時間
小学校は吉見町立北小学校に1時間かけて歩いて通いました。低学年の頃は相変わらずの人見知りでしたが、そのうち良き友達にも恵まれて、6年生で児童会長を務めました。小学生時代の趣味はファミコンとマンガ。「あさりちゃん」は何度も読みました!短距離走と幅跳び、ハードル競走が得意で、吉見町立吉見中学校に入学した際は、迷うことなく陸上部に入部しました。たぶん、母が中学・高校と陸上部だったことも影響していたと思います。迷わず入部した割には、競技での結果も出ず、中学時代は勉強も嫌いで反抗期だったと思います。そんな私の理解者である中学時代の女ともだちとは、三十路を過ぎたころから、たまに一緒に飲みにでかけるようになり、当時と変わらぬまま色々な相談にのってもらっています。
ゴル女
高校は近所にできたばかりの私立の東京農業大学第三高等学校を受験しました。何となく、英語コースに進みましたが、思えば小学校の頃に書いた将来の夢がなぜか「通訳になること」だったことを思うと、それなりに考えた結果だったのかもしれません。部活はガラッとかわってゴルフ部!に入部しました。スコアは散々でしたが、息の合うゴル女(ごるじょ・ゴルフ部女子)仲間は今でも私の宝です。英語コースに進んでよかったと思うのは、3年間を通じてクラスのメンバーが一緒で連帯感が得られたということと、担任してくれた加藤先生にお世話になったことです。いくら勉強しても自信のない自分を大いに励ましてくれた先生でした。
加藤先生の他にも数学の塩崎先生(通称しお爺、当時でもかなり高齢)は印象的で、「サイン、コサイン、タンジェント!」と息高まると教壇から転がり落ちてしまうこともしばしば。数学なんか好きじゃありませんでしたが、そんな一生懸命な先生の期待に応えたくて必死で勉強しました。お陰様で、特待生にも選んで頂いたり、学校が創立10周年を迎える年、創立以来初めて上智大学への合格者(まさかのわたし!)となり、無事にメデタク卒業したのでした。そういえば。高校では私の将来を左右する大きな出来事がありました。
38度線を目のあたりに
それは修学旅行で韓国に行ったことです。板門店で38度線を目のあたりにして、そこに徴兵制で入隊している若者と会い、日本にこんなに近いところで休戦中とはいえ戦争状態が続いている国があることにとてもショックを受けました。そして、大学では歴史を勉強してみようと思い立ち、上智大学の文学部史学科に入学したのでした。
学ぶうちに、(専攻は日本近現代史・長田彰文教授ゼミでしたが)「なんだ、世界の歴史は政治が決めてるんじゃないか!」と思い、政治の“現場”を知りたくなりました。そして大学4年当時に行われた参議院選挙で自民党候補者の選挙をお手伝いしたことがきっかけで、この世界に飛び込みました。
しゃぶ
そうそう、大学で選んだ部活は体育会自動車部(通称:しゃぶ車部・・・)です。中学にも、高校にもない部活を選びたかったのですが、元来、小さい頃からトヨタのセリカを見ると目がキラキラする車好きな女の子でした。自動車部ではラリーやジムカーナといったモータースポーツのほかに、車の整備なども経験しました(ズバリ苦手でしたけど)。初めての愛車は中古でトヨタのレビン(AE92)。キャー!10年乗って5年前にやはり中古のトヨタ・MR2に買い換えました。街乗りだけですけど、今でもよく走ってくれてます。
石原代議士の秘書に
さて。石原伸晃代議士の事務所に入所して最初の1年間は国会事務所で代議士の日程調整を担当するかたわら、当時行われていた統一地方選挙の街頭活動などもお手伝いしました。もともと、選挙区で生の声を聞きたいという希望を持っていたので志願して2年目からは後援会女性部の担当になり選挙区・杉並の阿佐谷事務所に勤務となりました。
最初に女性部の幹事さんのお宅に挨拶回り!と勢い勇んで自転車で出掛けましたが、道は知らないわ、田舎者の自分は家の多さに戸惑うわ、道行く人に道を聞いても無視されるわで、杉並のいろはを覚えるまでに本当に時間がかかりました。でも後援会の皆さんの母のような優しさに支えられてなんとかやってこれたと思います。石原夫妻と後援会の皆さんとの接点をつくるために、旅行会や講演会の開催、国会参観のご案内などの各種イベントを企画しました。旅行会で印象的なのは東京湾クルーズです。船を2隻借り切って1,000人の女性限定!企画となりました。当時は確か石原代議士が行革大臣に就任され、その興奮と熱気も旅行会を盛り上げてくれました。講演会には石原慎太郎東京都知事や中村玉緒さん、みのもんたさんにも来て頂きました。国会案内はお陰様でかなりの回数を重ねたので、正直自信あります!野党になってからは案内できる部屋が減っちゃったんですけどね・・・。クスン↓
ご希望の方は是非お声掛けください!
人と人とのつながりのある街
自分の担当行事のほかに、地域の行事や商店街の活動に参加して、自分たちの街を守り、発展させ後世に引き継いでいこうとする多くの方が頑張っている姿には杉並のコミュニティーの強さを感じました。年が明けると新年会が町会・商店会・各種団体・趣味の会で開かれるので、その場に代議士の代理で伺って新年のご挨拶。節分には神社やお寺での節分祭で裃を着けて豆まきも経験させて頂きました。
その後、初午祭。今も都市農業を頑張って続けている皆さんが杉並には多いのですが、お稲荷様のお祭りで豊穣祈願や地域の安寧を祈ります。春はお花見で善福寺川沿いは人であふれます。夏には各町会やPTA、育成会、商店会で盆踊りや夏祭りが催され、秋には神社を中心に多くの御神輿が杉並各地を巡行します。暮には夜警をして消防団の皆さんを中心に地域の安全を見守ってくれる。もちろん、日頃から防犯パトロールや慈善活動の多くを地域に根差した方々が支えてくれています。杉並には古き良き伝統と文化を守る精神を持った多くの先輩がいて、その方々が後世の世代のために誇りを持って街を維持・発展させているのだと常々実感しています。
多くの方に支えられて
また石原事務所では選挙以外にも駅頭をはじめとする街頭活動を通じて、有権者に政治活動を積極的にアピールする事の大切さを学びました。選挙といえば・・・近年は選挙中にもかかわらず他候補の応援等でほとんど自身の選挙区にいられなくなった代議士に代わり、多くの支援者に支えられて、里紗夫人と女性部主催の演説会を開催できたことは本当に貴重な経験となりました。候補者が不在であろうと、石原代議士を信じ、何の見返りも求めず、どんなに逆風が吹こうが、我がことのように熱心にご支援くださる後援者の皆さんの姿勢には本当に熱く心を動かされました。
自分に関係ないことには触れない世の中になったと言われますが、誰かのために、地域のために、将来の子供たちのために、自信と責任をもって頑張っている人たちはおられるのです。そういう皆さんとともに、杉並を、東京を、日本をより良い社会にしていこうと2011年、決意しました。

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